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春光院 (島津重豪側室)[しゅんこういん] 春光院(しゅんこういん、延享4年(1747年)- 文化8年10月14日(1811年11月29日))は、薩摩藩第8代藩主・島津重豪の側室。子に第9代藩主・島津斉宣。父は京都の公家で名家の堤家当主・堤代長。幼少時の本名は不明、側室にあがって後の雅名はお千万の方(おちまのかた)。 当初は島津継豊後室の浄岸院付の上臈だったといわれている(『島津重豪』ISBN 4642051376)。浄岸院死後、重豪の寵愛を受け、長男・斉宣、三男(名前不詳)、五女・克を生む。安永5年1月22日(1776年3月11日)に薩摩国に下向、寛政元年(1789年)8月に呼称を「お千万様」から「御内証様」に改められる(『島津家列朝制度』巻之二十七-一六七八、一七三二)。文化4年(1807年)8月、重豪の命により江戸に出府。文化8年(1811年)に江戸高輪の薩摩藩邸にて死去。享年65。法号「春光院心月清涼大姉」、墓所は大円寺、後に福昌寺に改葬。 == 関連項目 ==
*近思録崩れ
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「春光院 (島津重豪側室)」の詳細全文を読む
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